第一話

2019年4月18日

高知の海と須崎の横浪半島を、もっと楽しんでもらいたい。
そんな気持ちから、愛すべき登場人物が、横浪半島の素晴らしい風景を舞台に繰り広げる、ちょっと切なくて、あったかい、短い物語。ほんの少しでもあなたが幸せになれば。
あなたの海は、ここにあります。

原作:海野セイウチ  写真:mmas

第一話「kaoru」

夕焼けには、まだ早い。
須崎港の凪いた海を舞う一羽のカモメが緩やかな風に身を任せている。
海は青く、水平線の近くが陽光で煌めいて見える。
クルージングから戻ったクルーザーが青い海に白波を立てマリーナに向かう。
デッキは、若者たちの笑顔と歓声に溢れていた。
須崎市にマリーナを置く、ヨシノマリーナ。クルージング事業を始めたばかりだが、観光シーズンも相まって人気は上々だ。なんといっても太平洋に面して連なる横波半島の絶景をクルーザーで巡るコースは地中海にも似て、贅沢な気分が満喫できる。
クルーザーは速度を落とし、マリーナの桟橋に滑るように入って行く。
舵を握る悠介はクルーザーを桟橋に寄せると、タラップを駆け下り手際よく艫綱(ともづな)を桟橋のスタッフに投げた。
「お疲れ様でした」
日に焼けた悠介の口元がほころび笑顔になると、デッキの若者たちは、口々に「ありがとうございました」とか、「もーやばい」とかいいながら、桟橋に降りる。ここで言う「やばい」は、感激の意味に近い。
若者たちが桟橋を行くと、一人の女性が立っていた。
少し赤く染めた短い髪が優しくウエーブしている。悠介より少し若いのだろうか。と言っても若いわけではない。風に靡く長いスカートとジーンズのジャッケトが似合っていた。
「まだ、海に行けますか」
彼女がそう言うと、悠介はサングラスを外し、短く笑って言った。
「いいですよ」

彼女を乗せたクルーザーがマリーナを離れ、須崎港から外海に出た。
悠介はタラップを昇った操舵席に座っている。
彼女は、デッキにいた。
西に傾きはじめた海の太陽の速度は速い。
水平線の近くに太陽はいた。
海も、船も、彼女も、そして風さえも、たそがれ色に染めていた。
「寒くないですか」と、悠介が言う。
「あの、そっちに行ってもいいですか」
「どうぞ」
彼女は、巻き上がるスカートの裾を押さえながら、タラップを上がり、悠介の横に座った。
「暖かい」
「風避けがありますから、まだ寒いなら、下のキャビンだともっと暖かい」
「ここで、いいです。見ていたいから・・・景色」
クルーザーは、横波半島を巡る。100メートル以上はある断崖絶壁が太平洋に連なる。洞窟が点在し、奇妙な形の岩が幾つも聳え立つ。この半島にも、聳え立つ岩にも、地元の漁師が名づけた名前があり、その名前が何時かしら逸話になっている。そんな横波半島の風景も今は、たそがれ色に飲み込まれている。このわずかな時間でしか体験できない贅沢な大自然の演出。太陽が、水平線に姿を落とし始めて時、彼女も風景の一部になっていた。

クルーザーがマリーナに戻った時は、茜雲が空を覆いつくしていた。
「ありがとうございました」
桟橋を歩いて行く彼女の背中を悠介は、見つめていた。そして言った。
「かおる。幸せなのか・・・」
彼女の足が止まる。背中が、ほんの僅かに震えて見える。
振り返った彼女は、かおると呼ばれた女の顔だった。
かおるは、懸命に笑顔をつくろうとしているが、唇が震えた。その震えた唇を歯でかみ締めながら。それよりもっと大切な想いをかみ締めながら、佇んでいた。
「きみの海は、ここにあるよ。ずっと、どこにも行かないから」

沈み行く夕陽は、かおるの頬を流れ落ちる一筋の涙も赤く染めていた。

第二話につづく

担当…サイトマスター

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